TITLE: ヴェトナム黎朝初期の淸化集團に ついて AUTHOR(S): 八尾, 隆生 CITATION: 八尾, 隆生. ヴェトナム黎朝初期の淸化集團について. 東洋史研究 1988, 46(4): 792-822 ISSUE DATE: 1988-03-31 URL: https://doi.org/10.14989/154219 RIGHT: 792 従 来 よ り 、 ヴ ヴ ェ 第 第 第 ト お 第 第 第 三 第 第 第 二 第 第 一 は ェ 代近前ムナ めtじ主 にりわ初宗聖節三 集化滑節二 民宜禦節一 飼集化滑章 集化清節三 仁節宗二 租太節一 園集化清章 功園開節二 戦明抗一節 圏集化滑章にめじ ムナト 上史 tこ の期 に固 クの 再の 下圏 の朝 宗太・ 展の と臣 清と 形の 繋 、 政 よ ー 編 位 政 期 開 清 化 成 察 策 る デ の 権 の 化 集 朝 の朝 ク逆 タ 向動 権政 圏集 囲 初 ー 五 デ 期 代 タ 皇 の 帝 清 聖 宗 化 〈 在 集 位 圏 一 四 六 に 0 つ 1 九 七 い ) て が 、 j""\、 最 も 強 力 尾 に し て 安 隆 定 し た 集 生 権 園 家 を -116- 793 皇る 最 ιφwuh、R イノ タィ 所う 、で 次 っな ま あが と すと 僚官 、く の他 パン 律唐 い築 帝 後 。ド- の ン の 明 に て ず る こ る 制 家 政 、 に た 権 に あ ホ 開 の ウ い 藤 。 ろ も の 朝 策 西 範 こ の 佐 る ア 園 支 イ た 原 自 で の 武 の に 方 を と 昂 世 紅 ! 功 配 ッ 繋 氏 説 、 で 直 成 先 ラ と は 宗聖、え抑を臣功園開、が揚 まふを黙論の者二記上、は氏7(〉 力勢人文の身出方地タルデ河 け附名と)圃集化清(プールグ のそび及化清はに)るた嘗に臣 )6()5たげ奉を兵るす劃に従に彼。 述で章本。ていつに氏アモト〈に配支権政るよに臣功園開朝 年六順光、で文論の本二は)4〈れこずま、てしと提前の開展 行先たっ扱を度制僚官の初妻 るあ。 いつに」圏集化清「たっ捲を 権集たきてれわな行らか時立 の功成の彼、れわな行てじん が等征遠のへ園諸遊周等スオ の自濁ムナトェヴもらがなり な主の彼。るいてっなと読通1(〉 に期 てえ 政と た。 郷南 たっ るべ いつ (四一 諸ら 究研 、て 家園 要重 りあ 習慣 績業 君 、 治 の 諸 が て 六 氏 と そ 完 な 、 等 と 主 科 的 そ 父 賂 、 論 五 の し の 成 鍵 通 を し 濁 事 に し 安 ( 家 じ ) 研 て 形 へ と 読 も て るすとたし立成が制裁。 、と出進の力勢人文るよに興振の 者雨のこが宗聖に的終最、し争抗 が圏集のこな的人武てしと主て が者身出の)省ンィテハ・ンアゲ( つか、てたを功のから何ちうのこち即 郷故に年八一四一は利禦粗太の朝 るレてれら。 聖る内改制官の宗頃の革ま始りよ てせ併、し介紹にかま大を容内究 K-J、氏郎一利原藤イ、ウは・ るなに固集事軍の属直帝皇らか成 とのもだん結を寅がみ営の帝一諸の 整の制僚官のこ、し但たっな。 うろかなはり誤にのものそ債評の 均徳洪、行施定制の律刑たし味加 )3()2(範に制明に主はで内圏ばえ例、は 間中 融の 期初 か多 き生 近に と容 題問 トッ でま う言 は備 な。 制田 とを に封妨のへ王圏南安のらか を像史ういとたし功成に合 都首、り握を権質の朝察の 圏集のこは氏、らかとこたっ の氏原藤や料史諸がのもたっ残 藍)省アホンィタ(化清い 害障、りたあに施寅のそ、 。いたきおてし起提を黙 研の等氏久俊世佐、氏アモ 目をとこるす察考を程過の そ、は稿本。るきでがとこ はでのた得し成で代一宗聖 備整の制僚官の武文もでか チ方南はに的外劃、施賓の 備整の制軍び及制僚官たっ よ 描 ハ を 言 山 と 究 的 の な は ャ 、 -117- 794 た ま に ま 防 り 編 第 こ あ 地同 めと 禦、 同た の禦 化清 せさ こそ 可が 節三 二第 はと ずま 。る 稿本 は ら 朝 地 竣 地 る で 能 で に 、 第 で い言、く易りなと黙竣の蹴反るす劃に権政のタルデ河紅、 らぎえさで地山の方地卒寧はと方地タルデ河紅、に様たれ )m(地同、もつつえ構を都に方地タルデ河紅、は朝王諸の前以 をタルデるよに川河大こういと河ュチI・l河マが瞳自 ンオ山長ュ(チンるソたあに境園のとスオラ、貼るなと黙 )8(部野卒岸海方南るあ力魅、合場た見らか側タルデ河紅は方 闇集化清と戦明抗節一第 成形の囲集化清量一第 いたきゆてめすすを論らかとこ。諸や」園集化清「う言の氏アモトィウずまはで稿本、γ いなえ言はとるいてえ答分十に問疑ういとかたっあ。で 聖ぜな、魚のそいないてれわな行分十が析分の〉るず論。 限に向動の者の位高のそは析分の圏集化清、果結の一第、 な損を性数有のそ、上以く描を聞構ういと化清封タルデ いてれさなが別匡な密厳のと固集化清と臣功園開、に一 のこに特、合場たみてっ絞を黙観に」圏集化清「るべ述 換 れ の 有 ) へ 史 宗 ら う な 概 れ 、 支 し 山 の 料 の れ 恐 い 念 ば 西 配 て 服 連 に ク 、 れ 。 を 容 及 経 い 地 絡 み ー が よ 案 。るあでのた得し成形を力勢別に易 え控を帯地岳山るな連にスオラに面方北西び が氏夫元田古、しかし。たきでい注を意に営 鶏。たっあで地な要重に常非、で黙ういとる9(〉 、勲ういとるあで地積集の々品な貴珍の出産方 ・撃攻のへパンャチ方南、貼ういとるあで路 きっはを別匡の念概たっいと」臣功園開「るえ 再の織組僚官武文の宗事、かのたし功成がタデ 章二第(他のそ軍禁たっなと蓋土の力権の圏集 るれらじ感えさ険危、かりかばるあ。 るい用を念概ういと圏集北清のこままのそてっ が黙題問なうよの次はに氏アモトッイウたし出 -118- 795 山而 E 分匡 。る さ 集利 に事 は者 集化 永 の化 以化 るこ 遣振 聖 こ 宣 永 永 で な て 圏 よ 玩 圏 繁 地 南 が 軍 元 の 徳 繁 繁 あ ぜ 、 中 り 薦 と 十 で の 、 に 元 期時 年元 十二 六十 。る)日〈らな のそ 清、 あ、 活、 定規 〈年六 たっあ 海(地 のそ さぼ滅 一(年 は 八 二 年 ば 分 化 る 文 す 一 。 西 中 れ 四 腐 月 年 J 、 析 を 程 巧 る 四 地 で た O 明 J J 同 家 方 出 度 、 に 一 方 最 。 O 期 同 宣 二 利 法 身 は 劉 は 八 〉 大 ) に 二 徳 十 の で 地 出 仁 大 ) で 規 東 三 各 年 元 一 抗 あ と 身 溺 き 正 勢 模 開 月 地 末 年 年 明 る す 地 、 な 月 力 を 城 、 で 八 戦 が る の 陳 疑 、 を ほ ( 陳 起 月 は 、 清 知 汗 問 物 は こ ハ 朝 すにつ一の蹴反たっこ 前直 よに場戦るた主のそ、 集利繋が人某は者筆 の外以れそ、と固集化 か身出化清、も者ぬれ いてし在存かし名四の アモトッイウ。るあが 兵奉で郷山藍化清は利常 てじ乗に紛内。たっ〉日(定簡陳喬末の氏陳たっ を司政布祉交に〉イノ 纂てっよに氏胡戚外は ぎ っ 固 者 そ な 氏 し こ ・ 置 奪 しそ。いな)M〈 くき大て まこみ組に 別匿のと か外以れ 強を黙い 利震、は は「。た が飽反の の擦季陳 トェヴてい 。るれさ て 三 れ も の 調 集 じ 明 反 ナ 、 に期 た くつ 測推 てし 内圏 め よに も凱 ム のそ そ 匡 時 と は い の に っ 、 の 胡 も場戦の こるす分 るよに期 るえ考。 のもくつ かし。る〉ロ〈出で物人 れ燭もで」 さ破撃て ルデ河紅 すを化地内 も権政氏 帯地岳山方西の化清 るあでらかだ能可がと 数有がのるい用を分匡 てしそ。るれらえ考と 経の戟明抗の利察、し ちうの者るれ知の地身 軍たい率の利家、がた し兵拳が利震、後たれ たいおを力主に方地タ 、し封に明るめす各 明るすと賓口を興復朝陳 に 。 で そ 過 、 事 た 明 地 の 限 以 あ の を 清 集 の に で 永 ら 下 る 結 分 化 圏 も 劃 反 繁 れ が と 果 析 以 を こ し 範 一 て そ 考 、 す 外 卸 の て が 帝 お の え 家 る の 清 清 清 起 の -119ー 796 ぢL明臓の 経 締 /\ へ、 ノ f 、ー に 穴 ・ \ 『L- i毎 n (~IJ (l[)IIlIill 幸!Ji起地以 1.118-23 (2)1空白支配地|品 1423-25 (~亡コ ク 1425-27 Lich SU' Vict Na川 ,t~p 1p .249を参照 -120ー 797 順天二年(一四二九)五月に、抗明戦において功をあげた者に針し、爵位が輿えられ 第開節園功臣と清化集園 I期ら、に集聞に参加した者を清化集閣と規定できよう。 このE中で、I⑦、E@⑦、それにI@を加えた剖ものち、明白に清化出身者、外、を組み合わせると、I⑦、E⑦、E⑦I@E@E@l@、E@、皿@の九 以上の三つの時期区分に、諸史料により判明している出身地による区分、即ち⑦清 た。繋利が即位するのはその翌年三四二八)のことである。(初〉大字であったろうと想像される。宣徳二年の末、東開城その他に包囲された明軍と が察利の軍に加わるのがこの時期である。従って、この期に起義に参加した諸将は の援軍を撃ち、東開城を園んだ。そしてその直後に察利自身もその包囲に加わった m宣徳元年三四二六)八月父出安城包圏中の禦利は軍の一部を割いて北上させ、)(mM)残存勢力を編入し、清化以南をほぼ手中にした時期であった。〈四というものであった。この期は、兵力の不足に苦しむ繋利集圏が、新卒・順化という 略し、次γいでそれ以南の地新卒(クァンピン省順化(トワティエン省)の勢力を編入(ロ)E永繁二十二年(一四二四)九月に再拳した繋利がこの期に採った策は、まず庇隻(vm〉も私的なつながりを持ち得たのも、この期の集圏構成者であった。(日)り、史料的裏附けは乏しいものの、この期の集圏構成員は、塵倒的に清化出身者が た と つ 化 の 、 。 雲 前 し の 多 。 判 の ・ 聞 デ デ 南 述 、 建 か 明 類 父 に ル ル 及 の 議 っ 『 し 型 安 講 タ タ び 陳 紅 に た 全 た 分 、 和 地 の 鹿 氏 河 従 で 書』 者 け @ が 方 中 西 末 デ っ あ 巻 と が 不 成 を 極 方 喬 ル て ろ 十 、 で 明 立 出 部 面 ( タ 南 う 順天 出身地 きる。 、。清 し、明 身地と や海岸 からや 後陳氏 方面へ北 下して 。また 二 は 化 軍 す 地 っ と 上 父 、 年 不 ・ は る 方 て い す 安 家 五 明 父 撤 も の く う る 城 利 月 な 安 退 の 勢 る 〉 、 を と 三 が 以 し が 力 明 の 攻 最 -121 ー 791> 。 。 1zz る と 自 侯蘇 、目 、日 9、 上亭 6 上卿 (5、)",血4卜直 、)腕上 ま。 のこ るあ 功 僚の 四十 汝禦 戦禦 隻繋 十侯 理禦三侯仁察巴辛と口う繋銀戻ー 問禁三侯 こず に中 がの を臣 、に 人 覚 四 人 溺 一 人 人 れ 入 そ 牢 ⑪⑦- @E⑮ ⑦-@ 人 ⑭②- @@I 人 ⑪⑦- I⑮⑦お( 物人のら 物人たっ こ、でれ 員三十九し 〉 を は の を 加 日 印 7 2 前 、 九 該 家、 禦、 繋、 繋、 察、 の節 抗 三十 :うなそ 抄 魁 文 文 察 分 明 名 : 安 彊 類 戦 ( : に 争 寅 ( - 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