本書は太田浩一著『電磁気学I』(丸善, 2000年)の改訂版です. Dieu dit: Que la Iumiere soit! 「光あれ」と神が言った 江戸川乱歩は中学生時代を追想した随筆『レンズ嗜好症」の中で,雨戸の 節穴から暗い部屋に斜めに洩れる光の棒を見たときの感想を記している.「私 はその光の棒をじっと眺めていた.乳白色に見えるのは,そこに無数のほこ りが浮動しているためであることがわかった.ほこりって綺麗なものだった. よく見るとそれぞれに虹のような光輝を持っていた.一本の産毛のようなほ こりはルビーの赤さで輝き,あるほこりは晴れた空の深い青さを持ち,ある ほこりは孔雀の羽根の紫色であった.」読者の誰もが経験したことのあるティ ンダル現象である.宮澤賢治は『春と修羅 第三集』の中で,列車の中に朝 の光が差し込む様子を「東の窓はちいさな塵の懸垂と,そのうつくしいティ ンダル効果」と詠んだ 光とはなんだろう. 「神が天地を創造した初めに“光あれ”と神が言った.すると光があった.J 旧約聖書『創世記』の冒頭に書かれた天地創造の様子だが,その光は電磁波 である.宇宙全体に充ちている背景輻射は波長 1mm程度の電磁波で, 137 億年前のビッグバン,宇宙創生の名残である.電磁波は電場と磁場(電荷や 磁石に作用する力)の波動である.その電気力は電子と原子核を結合してす べての物質をつくる基本的な力である. このように,電磁気学は,微視的な 原子の世界から, 日常の世界,宇宙の果てまでを支配する物理の法則であり, 森羅万象,電磁気学に関係しない現象は存在しない.それらはすべて,マク iv スウェル方程式という,これ以上になく簡単で,ただ美しいとしか言いよう のない方程式によって記述できるのである.ガリレイは「偽金鑑識官』の中 で,「哲学は,眼の前に絶えず開かれているこの最も巨大な書物の中に書かれ ている」と述べている.まさに,宇宙は数学で書かれた書物である.ガリレ イはさらに続けて,「だが,まずその言語を理解し,そこに書かれている文字 を解読することを学ばない限り,その書物を理解することはできない.それ は数学の言語で書かれており,それらの手段がなければ,人間の力では,そ の言葉を理解できない.それなしには暗い迷宮を虚しく初種うだけである」 とも述べている. 本書はできるだけ多くの人に,「その言語を理解」し.「迷宮を1方1皇う」こと な<.電磁気学の面白さに触れてもらうための入門書である.電磁気学には 無数と言ってよいほど多くの教科書が書かれているが,それらの多くは必ず しも親切ではない.電磁気学の教科書は,実験事実に基づいてマクスウェル 方程式にたどり着く「帰納的方法」と,マクスウェル理論を出発点として実 験事実を説明していく「演繹的方法」とのいずれかを取る.初等レベルの教 科書は帰納的, レベルの高い教科書は演繹的であるのが普通だが,両者を兼 ね備え,基本的な概念の説明が十分してある教科書は少ないのではないだろ うか ボルツマンは『電気と光のマクスウェル理論講義』の巻頭に,ゲーテの『ファ ウスト』から,「わかってもいないことを,大汗をかきながら教えなければな らぬ」を引用している.筆者のことを言っているのではないか, と言われそ うだが,上で述べたようなギャップを少しでも埋め,基本概念の説明を徹底す ることを目的として本書を書いた.筆者の考えでは,電磁気学の理解を妨げ ているのは,積分形で場の理論を教えること,簡単な物理的意味を与えるこ とができない量DとHを不用意に使用することである.特に後者は研究者 や教育者の間でも統ーが得られていないのである.磁気に関する現代の混乱 と不合理さを,磁性を研究する実験物理学者自らが磁気の「バベルの塔」と 表現したのも頷ける (J.Crangle and M. Gibbs, Physics World 7, no. 11, 31, 1994). 筆者も「Hを使うな」という彼らの提案に賛成する.本書では電 場Eと磁場Bを基本的な場の量とし, DとHの使用を必要最小限にとどめ た.それによって,むしろ DとHの意味が明瞭になったのではないかと思 V う.単位や物理用語も誤解の原因になっている.真空の誘電率,真空の透磁 率,物理的には何も流れていないのに流れを表す電束や磁束を使うなど,最 たるものである.悪いことには,流体力学との類推を使うのが普通であるか ら誤解は加速される.用語の不適切さをいちいち指摘したが,それによって 物理の理解が深まることを望んでのことである. 本書は歴史を学ぶ本ではないが, しばしば見られる教科書的虚構はなるべ く排するように努力したマクスウェルは,「電荷保存則から変位電流を導き」, 電磁気学を完成した, というのが大方の教科書の書き方だが,事実ではない. どのように物理学者の発見が行われたかを知ることは,物理を理解する上で 助けになると思う.また,マクスウェル,アインシュタインなどの巨人の陰 に隠れがちなだが電磁気学の建設に重要な業績を残した物理学者につい て,ほとんどの教科書では名前さえ触れられず,行間に埋もれてしまってい るが,それは公正ではない.できる限り原典にあたり,伝記も調べて,見落と しがないようにしたそれでも,生没年さえ不明な物理学者がいることは残 念である人名も,なるべ<.母国語とする人たちに直接発音を聞いて確か め,「ギョエテとはおれのことかとゲーテ言い」などといったことがないよう にしたが,習慣に従ったものも多い.英国人の過半はジュールではな<.ジョ ウルと発音するが,これは習慣に従った(ジュール自身がどう発音していた か明らかではないが,ケンブリッジ大学出版の『科学者人名辞典』によると, 人名としてはジョウル,単位としてはジュールになっている).また,現代 ではポアンカレと表すのが普通だが,外国に出かけたとき,アクセントを間 違えて恥をかかないように,日頃ポアンカレーとしている方がよいと思う. これは夏目漱石にならった.伝記を調べるのに,東京大学内の図書館,図書 室ばかりでなく,各地の図書館,博物館のお世話になったマクデブルクの 文化歴史博物館では,館員の 1人が,ゲーリケについてとうとうと説明をし てくれたが, ドイツ語を半分も聞き取れず,残念な思いをしたこともあった. 訪ねまわった多くの図書室の中でも,東京大学電気工学科の図書室が古め かしくで懐かしかった.電気工学科はウィリアム・エドワード・エアトンが 1879年に世界に先駆けてつくった最初の電気工学の高等教育機関だが,その 図書室にはエアトンの写真が飾ってあり,歴史を感じさせる場所である.一 葉樋口夏子は本郷菊坂町の住まいから上野の東京図書館に通った.東大の構 vi 内を通り,物理学科や電気工学科のあるあたりから暗闇坂を経て池之端に出 たのだろう.ー葉が短い生涯を生きた時代は,ちょうど古典電磁気学が完成 し,「世界を変えた 30年」と呼ばれる大変革が起こる兆しが見え始めた時期で ある.だが一葉の文学が少しも古くなることなく,新しい生命を得て,今 日でも多くの人を感動させているように,マクスウェル理論も,相対論,羅 子論の大変革を生き延び(正確に言うとそれらを生み出し),現代物理学の 揺るぎない基礎になっている. ー葉が図書館に通い始めた 1891年の, 9月22日の『日記』には「暁がた より雨やみて,朝日のかげの薄らかにさし昇る程,木々の梢小芝垣のひまな どに,玉をつらねたる様に露のみゆるもいとうつくし」とある.読者が,電 磁気学を勉強した後で,一葉の日記に書かれたような, 自然の中に溢れる電 磁現象がより美しく実感できるようになってくれれば幸いである.ルソーは 『言語起源論』の中で,「最初の人間の言語は幾何学者の言語ではなく,詩人の 言語であったと思われるはじめ,人は詩で語り,ずっと後になってようや く理性によって考えることを思いついたのだ」と言っている.サンテグジュ ペリはその『手帖』に,「物理学者と同じように,詩人も真理を検証する.ぼ くは詩の真実をかくも強く信じている」と書き残した. いちいちお名前を記さないが,本を貸して下さった人,議論につきあって くれた人,原稿を見てくれた人,など,多くの方々から受けた好意や励まし に感謝したい.南半球でも空は青いことを「証明」するため,青空だけを写 した写真を送ってくれたオーストラリア人の友人もいた.駅のベンチで原稿 を直しているとき,筆記具を忘れて困っていたら,何も言わないのに,鉛筆 を貸してくれた見知らぬ中年の婦人にも出会った.本を書くことは「大汗を かく」つらい仕事ではあるが,このような人たちとの出会いはこの上ない報 酬である.エミリー・ディキンソンは「出版は人間の心の競売」であるとし, 生前その詩集の出版を潔しとしなかったが,図書室の片隅に放置され,おそ らく何十年も読まれることがなかったヘヴィサイド,ボルツマン,フェップ ル,アブラハム,プランクなどの,埃だらけで,頁をめくるとぼろぼろと紙 がはげ落ちるような電磁気学の古典を読んだことも,本書を書く免責理由に なるのだろうか映画「男はつらいよ』のフーテンの寅さんが,柴又駅前で 甥の満男に,人間は何のために生きているのかと訊かれて,「何ていうかな .. vii ほら,あ一生まれてきてよかったと思うことが何べんかあるだろう.そのた めに人間生きてんじゃねえのか」と答える場面があったアインシュタイン は,死とはどんなものだと考えるかと訊ねられたとき,「モーツァルトを聴け なくなることだ」と答えたそうである.さて,読者諸嬢,諸君にとって,人 生はどんな意味があるのだろう. 2000年7月 著 者 十分クレイジー? —磁Jにあたって一 本書は 2000年に出版した丸善物理学基礎コース『電磁気学I.II』の改訂 版である.旧版は,思いがけず多くの読者を得て,たくさんのファンレター をいただき感激した.ワインの差し入れまでしていただいたことがある.下 戸なのだが特に現実の世界で電磁気学を使っておられるエンジニアの方々 から多くのファンレターをいただいたことは格別な名誉だ不満足な部分を 書き改めたいと思っていたおりに,一切の制限なく,改訂版の出版を引き受 けてくださったシュプリンガー・ジャパンに深く感謝している. 説明を丁寧にしたため,旧版より 50頁増加している記号はより整合性の あるものにした時空の計量は変更した物理学者の肖像画も大幅に増やし, 古い本をあさって,より鮮明なものを探し出した多くの図書館で助けてい ただいたことは言うまでもない. ピサ大学物理学教授の小西憲一さんに.ピ サ大学の壁にかかっているモソッティの肖像画の複写を送っていただいたが, 小西さんは高校の後輩にあたる. 最大の変更点は,本文に埋め込んでいた数学の部分を付録の形でまとめた ことだ.そこで改訂版の構成を説明しておこう. 1章は電磁気学の全体像を予め見わたすためだが, 2章から読み始めても よい. 2-5章が静電気である.電磁気学では最も退屈な部分だが,簡単なクーロン の法則のためにこれだけの頁数を費やすほど内容豊富であるというのも,物 理学の醍醐味だろう. viii 6章が電流 7-10章が静磁気である.本書のように,アンペールカに基づ いて磁場を導入し,仮想的な磁荷を考えないアプローチでは,磁場のエネル ギーを説明するのに,ファラデイの法則を用いるのが普通である.本書では. 時間変化しない電磁場は互いに独立した世界をつくつていることが理解でき るように,静磁場の範囲で磁場のエネルギーを説明できるように工夫した. 11章で時間変動する電磁場を扱う.ここでマクスウェル方程式が完成し. 帰納的記述が終わる.多くの教科書で,「電場の時間変化が磁場の源になり, 磁場の時間変化が電場の源になる」という,遠隔作用論,エーテル論の亡霊 が横行闊歩している.現代の量子電気力学では電磁場の源は電荷と電流であ ると教えているというのにそれは古典電磁気学でも同じで.ローレンツに よって確立されて 1世紀以上も経つのである. このような誤解が生じないよ うに注意して書いた時間変動する電磁場を理解するには運動の相対性を理 解することが必須である.章の後半では相対論への準備をする. 付録Aでベクトル解析,デルタ関数積分定理などを解説した.微分形式 や一般曲線座標についても述べているが,飛ばしてもよい.本書はほかに参 考書がなくても,順々に読んでいけば理解できるように書いたとは言って も,人それぞれに理解の仕方は違うから,途中で難しいと感じたら,そこは 抜かして先に進もう.特に数学的な内容が主になる節は飛ばしても理解でき るようにしてある. 12章からマクスウェル方程式に基づく演繹的議論を展開する.物質と同様 に,電磁場がエネルギー,運動量,角運動量を持って運動する物理的な実体 であることを学ぶ特に,マクスウェルから 1世紀以上後で発見された「隠 れた運動量」に注意を喚起したいほとんどの教科書で触れられていないが, 電磁気学(とりわけHの役割)の理解に必須である. 13-14章で,マクスウェル方程式の最大,最高の成果である電磁波につい て述べる.中でも運動する点電荷のつくる電磁場の計算は面倒で,頭の毛を 掻きむしり,呪いの言葉を発しながら勉強するところだだが,空が青い理 由も 14章まで読まないと理解したことにはならない.読者の健闘を祈る. 15-17章では相対論,量子論を電磁気学の立場から学ぶ.宇宙背景輻射は, lcm3に400個ほどの密度で分布する光子の集まりである.電磁気学の理解 には相対論と量子論が不可欠だ.それらを別々の学問として学ぶのではなく, ix 互いに密接な関係にあることを示すのが目的である特に,量子論の発見と 量子力学の建設までの四半世紀は,物理学と言わず,人類の歴史の中でも,血 湧き肉踊る英雄時代である.量子力学の講義の始めに,古くさい過去の遺物 として学ぶより,電磁気学の中で,いかにブレイクスルーが起こったかを学ぶ 方がよいのではないだろうか本書の各所でそのための準備がしてある.ア ハロノフーボーム効果,量子ホール効果,カシミール効果なども取り上げた. 特に,カシミール効果とプランクの輻射式の関係を明らかにした. 18章で物質中のマクスウェル方程式について述べる.電磁気学でも最も難 解な部分である.よい教科書もなく,教科書によって言っていることが違う. 複雑な物質を簡単に表すことは本来不可能である.だが,保存則や相対論の 要請から,ある程度の一般論は可能だ.首尾一貫した書き方を徹底し,補助 場Hの現れる理由を明らかにした. 付録Bでは波動方程式とダランベール方程式の数学的取り扱いを解説した. 付録Cでさらに勉強したい学生のために参考書を紹介した まだまだ完全な本とは言えない.生没年がわからない物理学者のリストは 減ったがまだかなり残っている.死とは「モーツァルトを聴けなくなること だ」と答えたアインシュタインの言葉の原典はいまだに見つけられない.あ る論文の審査を求められ, 1つも誤りを見つけられなかったボーアは「この論 文は 1つも誤りがなくても十分クレイジーではない」と返事を書いた.ボー アはパウリに向かって「君の理論は真実であるには十分クレイジーではない」 と言ったという説もあるが,そのパウリは,ある若い物理学者が書いた論文 の評価を求められたとき「間違ってすらいないじゃないか」と悪口をたたい た, とパイエルスが伝えている.ボーアやパウリの毒舌を,物理を勉強する 読者を刺激する間違いはあってもいいのだ, という意味に勝手に解釈し,遠 慮のない批判を受けて,完全な本に近づけていきたいと思っている. 2007年6月 著 者